津田は今まで誰も注目してこなかった
「モノ」にスポットを当て売り出し、
大ヒットを連発してきた。
■ 1970 株式会社TOPFashion設立
販売ポスター、タレントの写真集などの制作会社
■ 1973 スーパーカーブームの仕掛人
役者やミュージシャンではなくフェラーリやランボルギーニ、ポルシェなどの車を、憧れのタレントのように主役にしてブームを仕掛けた。1年後、スーパーカー人気が爆発して日本中で社会現象を巻き起こした。
■ 1981 なめ猫ブームの仕掛人
仔猫に洋服を着せ、人間のように立って見えるポーズを撮影して、写真集やカレンダーなどを売り出した。キャッチコピーは「なめんなよ」。発売後すぐ、「なめんなよ」というキャッチフレーズと共に、空前の大ヒットとなり日本中で猫ブームが巻き起こった。人気のピークは2年半続き、政府広報、警察、マイクロソフトのキャンペーンにも使われた。現在もTVCMなどで活躍している。通常、人気は男女で分かれるが、男女共に人気を獲得したため、爆発的なヒットに繋がった。商品化数は550種類に及ぶ。
■ 1988 ダンスヴォーカルユニット「一世風靡セピア」の全てをプロデュース。1年後のデビュー曲が大ヒットした。現在も個々が役者として活躍中。
■ 1986 作詞・作曲家として。第15回 国際音楽祭連盟 東京音楽祭は、1986年3月30日.日本武道館にて世界大会が開かれ、マイアミ・サウンド・マシーンがグランプリ受賞。前年度のグランプリはクール&ギャングが受賞。新人賞では津田覚が作詞作曲部門で銀賞を受賞。ひらけポンキッキの挿入歌、CMソング、ミュージシャンなどに楽曲を提供。今日までに手がけた楽曲は数百曲に及ぶ。
■ 1992 Adventure of T-REXアニメ作家として津田覚の原画・原作アニメ「Adventure of T -REX」が全米でTV放送開始、その後、世界でTV放送された。
■ 1993 TV番組制作プロデュース
■ NHK 池上彰の「週刊こどもニュース」(放送期間1993年から2010までの18年間)企画提案。
■ 大ヒットしたフジテレビの生放送「夕やけニャンニャン」(放送期間1985年〜1987年8月31日)企画提案、オープニングのアニメなども制作。出演者達が着ている水兵さんのキャラクターが大ブームとなった。
津田は今まで誰も注目してこなかった「モノ」にスポットを当て売り出し、
大ヒットを連発してきた。
天才の定義は時代の科学水準によって決まると私は考えます。 かのアインシュタインでもIQは126であった。しかし、彼はその5年後ノーベル賞に価する理論を発表した。自分の過去の軌跡は、18才の夏の夜、この世はフィクションという幻想で成り立っているという天啓を受けた事に始まる。何気なくつけていたテレビで、アイドルタレントを追いかけているファンの姿を見た。「何故、人はこれほど夢中になれるのか?」それは、インスピレーションの稲妻であった。その時からである。人は誰しもフィクションを信じ、憧れや興味を持つことを知った。まだ少年の域にありながら、世の中で言う事業というコンテンツに魅せられたのです。2人の従兄弟は医者の道を歩んでいましたが、それとは違う独自の道に向かう啓示だったと思います。フィクションの力は「利他行動」を生み、自らの未来や夢や希望に変え、ファンタジーを生み出したのです。つまり人はフィクションを信じ、「エンジョイする為に生まれてきた」と確信したのです。人の多様な興味の対象を、モノ消費やコト消費に具現化して、提供することに没頭していったのです。